大久野島


2022年12月29日、数日後にせまった2023年の干支の卯(うさぎ)の写真を撮りに、大久野島へ日帰り旅行をしてきました。


最初は軽い気持ちで、何枚かうさぎの写真を撮った後、帰りに竹原観光でもできれば尚良し、くらいに考えて出掛けたのですが、さすがにそこまで甘くはなく、文字通り半日がかり(広島市西区の家を朝10時頃に出て、夜9時台に帰宅)の遠出になりました。以下、基本的には撮った順に何枚か見繕ってみます。


↓は忠海港すぐそばの常夜灯と呉線の踏切の画像。平日に行ったためフェリーの便が合わず、1時間半ほど忠海港で足止めをくらい、することもなかったので街歩きに出掛ける際に撮りました。22年12月29日午後0時54分撮影。


↓は忠海の街歩きをしていた時、通りかかった道端に生えていたクスノキの大木の画像。右下に小さな祠が写っているので、もしかしたら小さな神社の御神木的な何かかも。幹がシダ(ノキシノブ)で覆われています。枝の分かれ方もいい感じにカオスで、年月を経た雰囲気がとても良かったので撮ってみました。2022年12月29日午後1時23分撮影。


ここからは全て大久野島に渡ってからの画像です。港周辺にいたうさぎをとりあえず何羽か撮ってみました。↓は2022年12月29日午後2時35分撮影。


↓は2022年12月29日午後2時35分撮影。


↓は2022年12月29日午後2時40分撮影。


↓は2022年12月29日午後2時41分撮影。


↓は島の南部を散策中に撮った画像。2022年12月29日午後2時50分撮影。


↓は高台から対岸の島を撮ってみました。2022年12月29日午後2時52分撮影。


↓は日向ぼっこうさぎ。2022年12月29日午後2時58分撮影。


↓は環境省うさぎ。2022年12月29日午後3時1分撮影。


↓は今回撮った中では一番華奢でかわいらしかった子うさぎ。2022年12月29日午後3時5分撮影。


↓は島の南部にある灯台。豪雨災害でがけ崩れの危険があるため立ち入り禁止でした。2022年12月29日午後3時6分撮影。


↓は夕日の見える丘から撮った画像。2022年12月29日午後3時9分撮影。


↓は道の真ん中で日向ぼっこしていたスズメバチ。横を通ろうとするとふらふらと飛んでいってしまいました。てかこんな年の瀬になってもまだ飛ぶ体力があるのかスズメバチ…2022年12月29日午後3時14分撮影。


↓は木製の電柱。昔はうちの近所でも当たり前のように立っていたものですが、いつの間にか全て堅い材質のものに取り替えられてしまいました。現役で使われているのは久しぶりに見たので思わずパチリと。電線の架かり方も昔はこんな感じでシンプルなものでした。ただ碍子の形だけは記憶とちょっと違います(昔はもっと波立った円筒形でした)。2022年12月29日午後3時15分撮影。


↓は探照灯(サーチライト)跡の画像。周辺部が漏斗状になっていて、中央部分が深く陥没しています。2022年12月29日午後3時17分撮影。


↓は上の探照灯跡について説明した銘板。2022年12月29日午後3時16分撮影。


↓は↑の銘板が色褪せしてたので明度を調整して読みやすくしてみました。


なぜかこの探照灯跡にとてもデジャブ感を抱いてしまったので、ちょっと理由を考えてみると、うちのすぐ裏手にある丘(広島市西区)にこれとそっくりでちょっとミニチュアサイズの漏斗状の穴があったからでした。そのうちの一つが↓の画像。直径は大人の身長と同じくらいあり、周囲の漏斗状の斜面はコンクリートで固められています。以前ネット上でこの穴についてちょっと調べてみたことがあるのですが、この場所にこのような遺構が存在すること自体がどうもあまり認知されていないようでした。用途も不明で、上の探照灯跡と同様の遺構なのかどうかさえはっきりしません。仮に戦時中のものだとしたら、もしかするとなにかの施設の作りかけで、実際には運用されないまま終戦を迎えて土台部分だけが残された、ということなのかもしれません。あるいは戦後に作られた可能性もありますが、どちらにせよ一体何のための構造物なのか、見当も付きません。少し下に住宅地があるので、もしかしたら造成の際に何かが設置されていた跡なのかもしれませんが、ただその場合、工事が終われば原状回復しそうなものです。戦前戦中世代の人に聞けば何かわかるかもしれませんが、残念ながらそういう知り合いもいませんので、これについては現在保留中です。2020年2月11日午後3時28分撮影、広島市西区己斐西町。


↓はまだ子供だと思いますが健気な姿が気に入ったので撮りました。これをさらに温かみのある鮮やかな色調に調整したものを今年の年賀状の画像として使わせてもらいました。四足で踏ん張って立っている姿があまりうさぎらしくなくてかわいらしい。2022年12月29日午後3時23分撮影。


↓は貯蔵庫跡。上に南国風の植物が根付いています。2022年12月29日午後3時28分撮影。


↓はえりまきのような模様のうさぎ。2022年12月29日午後3時29分撮影。


うさぎってどういうわけか単体で写真を撮ろうとすると撮影者からそっぽを向いてしまう子が多いような気がします。この子もどうにもうまく撮れませんでした。2022年12月29日午後3時30分撮影。


近くに寄るとそっぽを向いてしまうので、それならばと道端にいた子を遠くから撮ってみました。ただ今度は遠すぎる…2022年12月29日午後3時39分撮影。


↓は日本庭園跡の画像。通路を少し登った所にこの橋がありました。当時、下を実際に水が流れていたのかは不明です。2022年12月29日午後3時42分撮影。


↓は橋を下から見上げてみた画像です。よくこんな余裕のない急斜面に作ったなあと…2022年12月29日午後3時44分撮影。


↓は半分埋められた状態の貯蔵庫跡。2022年12月29日午後3時45分撮影。


↓は珍しく正面から撮れた画像。てか顔平べった過ぎ。2022年12月29日午後3時49分撮影。


↓はおしりからの見返りうさぎ。しっぽがかわいらしい。2022年12月29日午後3時49分撮影。


↓は食べるのに夢中なところを。2022年12月29日午後3時50分撮影。


↓も正面から撮れた画像。今回撮れた中ではある意味最もうさぎ「らしい」顔です。2022年12月29日午後3時50分撮影。


↓は構図をとちってしまった画像。やっぱり斜め後方を向かれてしまいました。2022年12月29日午後3時50分撮影。


↓は水盤と、食事を取るうさぎの画像。水盤は島の至る所に置かれています。この直後、別の場所で自分もこれと同じくらい大きさの水盤から水を飲む羽目に…2022年12月29日午後3時52分撮影。


↓はちょっとダークな色合いのかっこいいうさぎ。2022年12月29日午後3時53分撮影。


↓は、載せるかどうか多少迷った画像。当時のお手洗い(比喩)の土台部分の遺構です。陶器製でないことはすぐに分かりましたが、これは木製、ということでいいのでしょうか。それにしても窮屈です。2022年12月29日午後3時55分撮影。


↓は仲睦まじいうさぎのカップル。2羽で一緒に行動しているうさぎは結構見かけました。2022年12月29日午後3時56分撮影。


↓はこれぞザ・廃墟って感じの遺構。ここもやはり貯蔵庫の跡です。危険なのでもちろん敷地中へは入れませんが、近くまで寄って撮りました。どちらも2022年12月29日午後4時0分撮影。


↓もたしか貯蔵庫跡だったはず…ただ、このあたりを歩いている時、疲労と発汗による水分不足で急に意識を失いかけていて(迷走神経なんたらとかいう症状で、多分持病の不整脈も出てた)、落ち着いて見て回る余裕はありませんでした…2022年12月29日午後4時4分撮影。


↓も同様。2022年12月29日午後4時11分撮影。


↓は最後に撮った黒うさぎの画像。どこで撮ったかもう覚えてない…けど撮影時間的に島の北部にある上の史跡のすぐそばだったはず、多分…2022年12月29日午後4時14分撮影。


結局、港へ向かう山道をふらふらと歩いてて、ふと目に入った道端のうさぎ用の大きな水盤にあった水を半分近く飲んでなんとか意識をつなぐことができたのでした…他に人はいませんでしたが、どちらにしろ周りを気にする余裕なんて全然ありませんでした。脱水って怖い…そういえば忠海港でフェリーを待つ間の1時間半も、忠海の街なかを散策して体力使ってたんでした。せめてその時昼飯食うか、あるいはせめてお茶の一本くらい買って携行していれば…帰りの高速艇でも意識を保つのがやっとの状態で、船員さんをとても心配させてしまったのでした。本当に申し訳なかったです。自分、思ってた以上に体力的にヘタレでした…


と、いうわけで、次はもっと準備を万端にして、余裕をもってじっくり見て回ろうと思います。とりあえずは春あたり、暖かくなってからを予定。今度は竹原にも寄りたいです。

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